助言を求められて助言しても否定されてイライラする時に!

こんにちは!

 

助言を求められて助言しても否定されてイライラする時には、

どうしたらいいか分からないと途方に暮れるねと無力感を

優しさで包み分かち合うようにします。

 

相手との関係に新しい風が吹き込みます。

 

ああでもない、こうでもないと屁理屈をこねる人が周りにいる時には

相手の困っている気持ちに寄り添うようにしましょう。

 

どうしたらいいか分からないから役に立てないのではなく、

無力感でいっぱいで悲しいという気持ちに共感することです。

 

ああでもない、こうでもないと屁理屈をこねたい理由は

相手に気持ちを理解してほしいということの表れです。

 

相手が屁理屈をこねることに付き合っていると、

何を言っても駄目だ嫌だと反発され、どうしたら役に立てるか分からず、

最後にはもういいとさじを投げたくなります。

 

役に立てない無力感や悲しみを感じたくないので、相手から離れたくなります。

 

甘えてはいけないという気持ちが強い人は、相手の態度に抑えきれない

腹立たしさを感じます。

 

相手の気持ちを理解するチャンスと捉えましょう。

 

正しさではああでもない、こうでもないと屁理屈をこねる人の

甘えたい気持ちは拾えません。

 

イライラしても話は収まりません。

 

屁理屈をこねることは甘えたいニーズを満たそうとする行為です。

 

甘えたいという気持ちを認めようとしなければ、

正しさで自分も他人も状況も決めつけようとします。

 

分からないことは不安で無力感を感じるので避けたくなります。

 

無理やり分かろうとすると正しさで論破することになります。

 

分からないという不安要素をつぶすために正しさにこだわり

強くあろうとします。

 

理屈をもって断定すると正論に聞こえます。

 

ああでもない、こうでもないという屁理屈は真実でないとしても、

これが正しいともっともらしい理屈で決めつけたがることは

世話好きな自立型の人が陥りそうなパターンです。

 

ああでもない、こうでもないと屁理屈をこねられ始めると

つい正論で論破したくなります。

 

でもが3回続いたら相手は甘えたいと思ってみるといいです。

 

本当に欲しいものは自分のニーズに興味をもってくれることです。

 

駄々をこねることが出来なくなった大人は甘えたい時には

理屈をこねます。

 

親身になって話が行ったり来たりすることに逐一付き合ってもらえることは

ありがたいことです。

 

寄り添いたい、助けたいと思うのに、ああでもない、こうでもないと

屁理屈をこねられると、正しさで論破するか、役に立てずイライラして

相手と距離を取りたくなりますが、そんな自分の感情に気づけた時こそ、

相手の心を本当に理解できます。