感謝と優しさの拒絶について考える

こんにちは!

 

優しさや感謝を拒絶する人は本来ノーコストである

優しさや感謝にコストを感じます。

 

支払いたくないと意固地になりがちです。

 

社会は義務と権利で働く無機質なもので

優しさや感謝は不要と考えています。

 

権利意識がこじれて他人をないがしろにしても構わないと

思うこともあります。

 

当然の権利なのだから感謝したくない、自分はかわいそうな

被害者でちょっとばかり何かしてもらっても埋め合わせにならないと考えます。

 

感謝したら損だという感覚です。

 

感謝を閉ざして優しさや親切の交換を拒否すると

優しさや親切が途絶えます。

 

サービスを受けて当たり前、自分にはその権利があるという

姿勢は共感は得られません。

 

やってもらって当たり前のことでも感謝をして敬意を示すことが

良識となっています。

 

感謝を強制することは間違いですが、感謝など必要ないと

強硬な姿勢に出ると軽蔑されます。

 

優しさ・親切はあらゆる場面で社会を機能させてくれます。

 

日常的に家族や知人の間で助け合いが行われ

外でたまたま出会った困った人を助けられるようになります。

 

時として大災害では大きな力を発揮します。

 

損得をベースにして動く仕事やビジネスの世界でも

優しさや親切は重要な役割を担っています。

 

損得勘定を抜きにして相手を思いやる誠意や気持ちが

仕事を丁寧に仕上げることにつながります。

 

優しさ・親切の報酬は行動によってもたらされる相手の

利益そのものです。

 

利益になること、喜んでもらえること自体が報酬です。

 

感謝を加えると報酬に上乗せされるチップです。

 

優しさや親切から感謝はコストの掛からない交換です。

 

利益を求めず純粋に他人に利益をもたらす行動は

義務感からだとしても親切のうちです。

 

仕事・ビジネスは助け合いをお金を仲介させて

システム化したものです。

 

他人に利益を与えた報酬として自分が利益を受ける権利を得ます。

 

他人に役立とうとする意識が皆無であっても

ただお金が欲しいという動機であっても

助け合いの一役を担える優れたシステムです。

 

社会を形成するのは助け合うためです。

 

人が1人で生きることは至難の業です。

 

衣食住の全てを自力でこなし、体調不良や怪我などの

アクシデントも自力で乗り越えることは過酷です。

 

社会をより有利により良く生きるためのシステムです。

 

感謝は強要されるものではありません。

 

感謝や優しさを拒絶することは人間社会の本質の否定です。